奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガールを観て

 最初に言っときますが
 タイトルが長い笑
 細かいとこで間違えそうになる笑

 男は、周りからかっこよく見られたい。その感情は、僕にも少しばかりは持ち合わせているつもりだ。

 しかし、僕の努力はほとんど(いやまったく)実を結んでいないのが現実だ…

 「自分の理想像」というものがある。見た目や生き方、ファッションなど様々な基準を用いて創り上げる。なかば虚像のようなものだ。それを、目指す人はいても実現している人は少ない。

 主人公コーロキは奥田民生の“力まないカッコいい大人”な生き方に憧れる雑誌編集者。だが、理想像とは異なり、ちょっと残念なキャラ。

 仕事で出会ったファッションプレスの美女天海あかりにひとめぼれし、二人は付き合うことになる。

 とまあ、始まりはこんな感じ。後々難しいドロドロした展開になっていくが、今回は、先をあまり触れないほうが観に行く時に楽しみが増えると思う。

 最後に、ひとつ考えさせられることがあった。
「自分がなっているつもりのイメージ(理想像)と他人から見える自分のイメージ(評価)は違う。」

 プロジェクターでパソコンの画面を壁に投影すると、少しピンボケしたり、文字が鋭すぎてしまったり、絵や図の色が少し変わってしまったりすることがよくある。これらは、設定で限りなくパソコンの画面に近づけられるが、必ず同じものになるわけではない。

 人間の「かっこよさ」を含め、見た目や生き方、発言などに対する周りの感情は、発信する自分(パソコン)と受け取って、評価する周りの人(プロジェクターの画面)と異なるはずだ。つまり、自分の理想像をパソコンの画面に作り出し、投影するのではなく。プロジェクターから投影される像を自分の理想像に近づければ、周りから自分が思っていた評価や反応が生まれてくる。しかし、パソコンの画面に映るのは自分の理想像とは違うものだ。

 かっこいいこととかっこよく見えることは似ているようで異なる。

 かっこよく見えるように振る舞うと僕の自己感情はどうなるのだろうか…。周りの評価はどうなるのだろうか…

 気になりますねぇ…。

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