DESTINY 鎌倉ものがたりを観て

空想と妄想

 似たような言葉だけど、なぜか空想は良いイメージ、妄想は悪いイメージで語られることが多い気がする。

 

 辞書には空想とは現実にはあり得ないような事柄を想像すること。「空想にふける」。妄想は①精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断。妄想分別。②根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。統合失調症・進行麻痺などで特徴的に見られ、その内容があり得ないものであっても経験や他人の説得によっては容易に訂正されない。「被害-」「誇大-」「あらぬことを-する」「 -にふける」。と書かれている。

 

 空想は空想科学読本など、夢物語のイメージがある。妄想はエロと近い陰鬱なイメージをされることが。自分の周りで話した場合の受け取られ方だが感じる。

どちらも「現実にはないもの」を捉えていることには変わりない。あくまでも「現実にはないもの」だ。

 

 僕はなんとか学校には通えるレベルではあったが、平均より社会性が低かったことから、1人になる時間も多かったのでよく空想、妄想の世界に行くことがままあった。1人で思い描く世界は自分の理想の世界でもあるから居心地が良いんだよね。

 

 この作品に出てくる黄泉の世界は、人それぞれの黄泉のイメージが投影されている。「ああ、この主人公ならこんなイメージを持つだろうな」という世界に観えたので妙に納得してしまった。納得してしまったということは、僕も黄泉の国に対して近しいイメージなのかな?

 

 この作品を観て、空想と妄想のイメージが変わるかなとも思ったけど、これまでの自分のイメージがあってる気がするという結論には変わりなかった。空想という明るい映画でした。

 

 空想は明。妄想は暗。とか言ってみたけれど、かく言う映画の内容にはほとんど触れず、エッセイのような僕の映画感想も暗い「妄想」と言うべきものかもしれないなぁ。