北の桜守を観て

理解できる範囲

 

 学歴のフィルターって現代だと「意味がない」とか「そんなんでくくってくれるな」というネガティブなイメージがつきまとう。学閥とかもそんなもののひとつだろう。僕も地方の大学だったのでその地方での学閥なんかを垣間見たし、そこでおいしい思いを少しばかりしたこともあった。

 

 学閥ってなんで存在するのかという理由に「互いに理解できる事柄がある」っていうのがあると思う。○○先生というのもあるだろうし、同じ土地や校舎で暮らしたというのがあるだろう。また、特に私立の学校だと学んでいた内容が近しいこともあり学問レベルも近くなってくる。どのような事に興味があり、知識があるのかも似てくる。そんな話ができるような人がいると確かに楽しいし、近くに居たい(または置いておきたい)と考えるのはおかしくない事だろう。

 

 そんな中、全く違う環境で育った者が入るとそりゃあ化学反応が起きて、さらに面白い組織に変わっていくかもしれないし、「なんやコイツ」と排他的に働いて弾き飛ばされるかもしれない。それはどちらに転んでもおかしくないし、受け入れるべきだと思う。

 

 この作品は、ストーリーは興味が持てる内容だったし、舞台は樺太や北海道の釧網地域に札幌と僕が大好きなエリアだ。大好きな劇団TEAM NACSの本公演の舞台も近しい地域で楽しみに映画館に行った。

 

 だが、演出が良く分からない部分があった。映画の中で舞台の演劇を行っているような場面があったのだが「普通にやればいいのに…」と疑問を持ってしまった。観終わった後、他の観客が「すごいよかったねえ~」と話しあっていたのを見て「僕が分からないと思ったのは、作品が高尚やからなのかなあ」と感じた。

 

 低俗な人間だと、高尚過ぎると理解できなくなる。僕にはちょっと難しく感じてしまう映画だった。

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